今日は町内の寺院で弁天祭が執り行われました。
弁天祭では豆腐が振るまわれます。
コロナ禍以前から豆腐は持ち帰りだったが、かつては参列者皆で一緒に食したそうです。
検索チャットで「弁天祭で豆腐を食べるのはなぜ?」と質問しました。
荻生徂徠(1666~1728)が生活の面倒を見てくれた豆腐屋と一緒に弁天祭で豆腐を振るまったことに始まるという説が見つかりました。
その豆腐屋は荻生徂徠が困窮していたときに食の面倒を見てくれた人で、弁天信仰しているので弁天祭には毎年お参りしていました。
荻生徂徠は大名からも除名嘆願の多かった赤穂浪士の処分に対して切腹を進言した儒学者です。
幕府は彼の意見を取り入れて切腹としました。
荻生徂徠ほどの著名な儒学者が弁天祭と豆腐を結び付ければ、今日まで続く習慣となったのも頷けます。
平賀源内(1728~1780)が作ったキャッチコピー「土用の丑の鰻」は今もチラシやPOPの定番ですが、江戸時代の推し活だったことが荻生徂徠と通じます。
やはり商売での推し活は仕事と縁起です。
さて、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件で打ち取られた吉良上野介義央。
彼の直接の先祖ではありませんが、NHK「どうする家康」の三河一向一揆編では吉良義昭が登場しました。
弁天祭で豆腐を食せば縁起がいい!