三国志演義をはじめとする三国志の小説では、諸葛亮孔明が信頼していた馬謖を軍律違反で処刑したくだりは涙を誘う場面です。
「泣いて馬謖を斬る」は孔明が優秀な馬兄弟の中でも最も才気にあふれた謖の一度の失敗、しかし蜀軍の進行を止めてしまう重大な敗戦、を軍規に照らして処分したものです。
将来を嘱望されている馬謖は孔明の愛弟子でもありますが例外を認めない孔明の裁定に対して軍幹部は助命嘆願したものの聞き入れられませんでした。
「泣いて馬謖を斬る」は孔明の心の涙を詠ったものですが、嘆願した軍幹部、歴史ドラマ風には泣いて嘆願するような、また実際に処刑した兵も、の涙も込められているでしょう。
ドラマの演出では、処刑を躊躇する兵に、孔明は涙を伏せて即刻の執行を命じます。
舞台は変わって現代日本の国会。
少し時間が遡りますが、統一地方選挙が迫るさなかに「サル」発言で所属政党の選挙戦を後退させた議員がいます。
自他ともに認める優秀な、勉強ができるという意味で、だからキャリアの公務員だった、彼は野党で将来を嘱望されていた若き政治家という点で馬謖にたとえることができます。
彼は自らの優秀さをひけらかし他の議員を見下す発言で、党から役職を取り上げられました。
処刑されたのでなく国会議員の身分も安泰なので、馬謖にたとえてはいけないですが、才に溺れるという点で共通しています。
ただ彼は斬られても誰も泣いていません。
「斬られても 誰も泣かない 今馬謖」